写真NO.56010019
吉塚駅:昭和56年6月29日
吉塚駅は、箱崎から一キロ程のところにある。篠栗線、勝田線の分岐駅であるが、めずらしいのは、上り本線にはホームがないことで、この駅に停車する上り列車は一番線に入り、下り列車と共用のホームに着く。上り本線と駅本屋側ホームの間には電車の留置線がある。篠栗線、勝田線のホームはすこし高くなっていてその線路は鹿児島本線と並行して博多方に延びている。そして博多駅の下り場内信号機の先で鹿児島本線に合流する。だから吉塚~博多間は三線区間のようにみえる。
「小学館 国鉄全線 各駅停車10 九州720駅より引用」
写真NO.56010020
吉塚駅:昭和56年6月29日
写真NO.56340004
吉塚駅:昭和56年7月21日
写真NO.58650027
吉塚駅:昭和56年8月6日
写真NO.58650028
吉塚駅:昭和56年8月6日
写真NO.56970025
吉塚駅:昭和57年12月28日
写真NO.56970026
吉塚駅:昭和57年12月28日
写真NO.57170027
吉塚駅:昭和58年1月28日
写真NO.57170028
吉塚駅:昭和58年1月28日
写真NO.57170029
吉塚駅:昭和58年1月28日
写真NO.57170030
吉塚駅:昭和58年1月28日
写真NO.57170031
吉塚駅:昭和58年1月28日
写真NO.200181
御手洗~吉塚間:昭和57年9月7日
写真NO.200184
御手洗~吉塚間:昭和57年9月7日
写真NO.57570007
御手洗駅:昭和58年1月25日
吉塚と筑前勝田を結ぶ勝田線は、筑前参宮鉄道が宇美八幡宮参拝客の輸送を目的として建設した線路。のちに西日本鉄道に合併され、その後参宮線となり、さらに昭和十九年(1944)に国鉄に買収された。
石炭全盛時代には沿線の粕谷炭田から採掘された石炭が勝田線で運ばれ、各駅もにぎわっつた。時が移り、福岡市のベットタウンとして沿線は生まれ変わったが、人々のながれはバスや車に吸収され、勝田線は無人駅の多い寂しい線になってしまった。
御手洗は無人駅。工場や倉庫が周辺を埋める中にぽつんとホームがある。
「小学館 国鉄全線 各駅停車11 九州720駅より引用」
写真NO.57570008
御手洗駅:昭和58年1月25日
写真NO.57570009
御手洗駅:昭和58年1月25日
写真NO.57570010
御手洗駅:昭和58年1月25日
写真NO.57570005
上亀山駅:昭和58年1月25日
上亀山は無人駅だが、駅周辺には商店街もあり、にぎやかだ。
「小学館 国鉄全線 各駅停車11 九州720駅より引用」
写真NO.57570006
上亀山駅:昭和58年1月25日
写真NO.57570001
志免駅:昭和58年1月25日
志免におり立って、駅の裏手を眺めると、巨大なボタ山の跡、高層ビルような竪坑、三本煙突などが古ぼけたまま残り、かつての国鉄志免炭鉱の繁栄を物語っている。現在は、九州自動車道の鉄道運送基地として知られている。
「小学館 国鉄全線 各駅停車11 九州720駅より引用」
写真NO.57570002
志免駅:昭和58年1月25日
写真NO.57570003
志免駅:昭和58年1月25日
写真NO.57570004
志免駅:昭和58年1月25日
写真NO.57550035
下宇美駅:昭和58年1月25日
下宇美は無人駅。宇美川が近い。
「小学館 国鉄全線 各駅停車11 九州720駅より引用」
写真NO.57550036
下宇美駅:昭和58年1月25日
写真NO.57550027
宇美駅:昭和58年1月25日
宇美は宇美八幡宮への参拝駅。香椎線の宇美駅とはすこし離れている。
「小学館 国鉄全線 各駅停車11 九州720駅より引用」
写真NO.57550028
宇美駅:昭和58年1月25日
写真NO.57550031
筑前勝田駅:昭和58年1月25日
筑前勝田は古めかしい駅舎をもつ駅。周辺には炭鉱のおもかげを残す。一つ山を越すとすぐ大宰府である。
「小学館 国鉄全線 各駅停車11 九州720駅より引用」
写真NO.57550032
筑前勝田駅:昭和58年1月25日
写真NO.57550033
筑前勝田駅:昭和58年1月25日
写真NO.57550034
筑前勝田駅:昭和58年1月25日
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