写真NO.58160012
羽犬塚駅:昭和58年2月15日
羽犬塚は矢部線の分岐駅で、昭和四十年に駅舎が改築された。古い時代の雰囲気を残す建物が近代的なビルにかわった。この町は久留米と熊本を結ぶ街道の宿場町だった。戦後は筑後市が誘致した工場の進出で、工業都市への脱皮をはじめている。
「小学館 国鉄全線 各駅停車10 九州720駅より引用」
写真NO.58160013
羽犬塚駅:昭和58年2月15日
写真NO.58160014
羽犬塚駅:昭和58年2月15日
写真NO.58160015
羽犬塚駅:昭和58年2月15日
写真NO.58160016
羽犬塚駅:昭和58年2月15日
写真NO.58160017
羽犬塚駅:昭和58年2月15日
写真NO.58160018
羽犬塚駅:昭和58年2月15日
写真NO.58040019
花宗駅:昭和58年2月15日
矢部線羽犬塚から黒木までの十九.七キロ、矢部川沿いに八女市を横断する。
花宗は住民の請願によってできた、開業当初から駅舎のない、片面使用のホーム一本の駅。
「小学館 国鉄全線 各駅停車11 九州720駅より引用」
写真NO.58040020
花宗駅:昭和58年2月15日
写真NO.58040021
花宗駅:昭和58年2月15日
写真NO.58160019
鵜池駅:昭和58年2月15日
鵜池は昭和二十年(1945)の開業時は、木造の駅舎があったが、バスの発達で同三十七年からホーム一本の無人駅となった。鉄道開業を記念してホームに植えた桜が毎年みごとな花を咲かせる。
「小学館 国鉄全線 各駅停車11 九州720駅より引用」
写真NO.58160020
鵜池駅:昭和58年2月15日
写真NO.58160021
蒲原駅:昭和58年2月15日
蒲原は、広々とした電照菊ビニール栽培畑のなかに、ぽつんと一本ホームがある。駅名標がなかったら見逃してしまいそうな駅だ。東海道本線の蒲原駅と同じ表記だ。駅の南一キロのところに久留米絣の一種である国分絣を考案した牛島ノシの顕彰碑が建っている。
「小学館 国鉄全線 各駅停車11 九州720駅より引用」
写真NO.58160022
蒲原駅:昭和58年2月15日
写真NO.58160023
蒲原駅:昭和58年2月15日
写真NO.58160024
蒲原駅:昭和58年2月15日
写真NO.58160025
蒲原駅:昭和58年2月15日
写真NO.58160026
筑後福島駅:昭和58年2月15
筑後福島は八女市の中心部にある。駅舎は戦争直後にできた、屋根の低い建物で、待合室には花火、蝋燭、和紙、提灯など、この地の特産品を飾った陳列棚がある。乗降客はほとんどが高校生で、朝の通学時はにぎわう。町の北はずれに筑紫国造磐井の墓という岩戸山古墳がある。大和朝廷に抗した磐井の乱は、「日本書紀」「筑後風土記」にくわしい。北へ徒歩十分のところにある八女公園は福島城跡にある。その一郭に画家坂本繁二郎の像がある。
「小学館 国鉄全線 各駅停車11 九州720駅より引用」
写真NO.58160027
筑後福島駅:昭和58年2月15日
写真NO.58160028
筑後福島駅:昭和58年2月15日
写真NO.58160029
筑後福島駅:昭和58年2月15日
写真NO.58160030
筑後福島駅:昭和58年2月15日
写真NO.58160031
今古賀駅:昭和58年2月15日
今古賀は田んぼのなかの無人駅。駅のすぐわきを国道三号線が走る。
「小学館 国鉄全線 各駅停車11 九州720駅より引用」
写真NO.58160032
今古賀駅:昭和58年2月15日
写真NO.58160033
今古賀駅:昭和58年2月15日
写真NO.58160034
今古賀駅:昭和58年2月15日
写真NO.58160035
上妻駅:昭和58年2月15日
開業時には駅員が配置されていた上妻は、昭和四十六年(1971)二月無人駅となり、駅舎はとりこわされた。周辺は水田で電照菊ハウスなどが広がっている。
「小学館 国鉄全線 各駅停車11 九州720駅より引用」
写真NO.58160036
上妻駅:昭和58年2月15日
写真NO.58070001
上妻駅:昭和58年2月15日
写真NO.58070002
山内駅:昭和58年2月15日
山内は昭和三十七年に委託駅となり、同四十六年に無人駅となった。
かつては貨物も取扱い、行違い設備をもっていたのに、いまではわずかな通勤、通学客が利用するだけ。無人駅になる際、駅舎など駅の設備を縮小したため広くなった駅前のスペースを使って、一郭には公民館が建てられ、またゲートボールに使われている。
「小学館 国鉄全線 各駅停車11 九州720駅より引用」
写真NO.58070003
山内駅:昭和58年2月15日
写真NO.58070004
山内駅:昭和58年2月15日
写真NO.58070005
山内駅:昭和58年2月15日
写真NO.58070006
山内駅:昭和58年2月15日
写真NO.58070007
北川内駅:昭和58年2月15日
北川内は開業から無人駅となるまで、山内と同じ経歴をもつ。「大伴部博麻出身の地」という標柱が目立つ。博麻は、六六三年の白村江の戦いで捕虜になり,みずから奴隷に身を売った金で仲間を帰国させ、唐の情報を大和朝廷に知らせた人物。駅の北にある北川内公園には博麻の碑が建っている。
「小学館 国鉄全線 各駅停車11 九州720駅より引用」
写真NO.58070008
北川内駅:昭和58年2月15日
写真NO.170551
北川内~黒木間:昭和58年2月14日
写真NO.170553
北川内~黒木間:昭和58年2月14日
写真NO.58070009
黒木駅:昭和58年2月15日
終点の黒木は敗戦後まもなく開業したため、駅舎は小さく簡素だ。蒸気機関車時代の給水所の跡は、いま町営の無料駐車場になっている。駅の東、徒歩三分のところにある祇園神社の境内には、天然記念物の黒木の大藤がある。
「小学館 国鉄全線 各駅停車11 九州720駅より引用」
写真NO.58070010
黒木駅:昭和58年2月15日
写真NO.58070011
黒木駅:昭和58年2月15日
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